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# 芸人美談2
2011/09/15 23:42
【立川談志】

キャイーンが、まだ売れる前・・・。

小さな雑誌の対談か何かで、3人がトークをしていた。

天野「師匠・・・今の話、僕らのネタにしていいですか?」
談志の話がおもしろかったので、天野がそう言うと・・・

談志はこう返した。
「ウケたら、お前らのネタにしていい。けど、スベッたら談志のネタだと言え」

かっこういいね♪

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# ルワンダ
2011/08/18 06:00
『ホテル ルワンダ』と言う、映画知っていますか?

1990年に起こった民族対立による大量虐殺の話です。

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/ルワンダ紛争

老人から子供まで、対立する部族のものは、片っ端から殺害されました。

とても、痛ましい紛争でした。

そんな中でも、『ホテル ルワンダ』の支配人は、逃げ込む民間人を、全て隠しました。

『シンドラーのリスト』に似ています。

混沌とした数年間を、道徳心を持って、人間らしく振る舞い続けた支配人に、焦点を当てた素晴らしい映画です。

TSUTAYAで見かけたら、是し!!

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# 群馬のセンゴク
2011/06/05 09:37
群馬県は、その昔「こうずけの国」といわれていました。

戦国時代にも、名だたる武将達が、このこうずけの国で戦っていました。

越後(新潟)の上杉謙信。彼は、関東でNO1になろうという野望と義務がありました。その為、同じく関東平野の平定の野望をもつ北条家と長年に渡り戦います。もちろん、群馬の地も何度も戦場になりました。謙信は、新潟県境、水上から沼田あたりまでを治めていました。

甲斐・信濃の雄・武田信玄も群馬県を侵略しようともくろんでいました。松井田から高崎辺りまでは、武田の領土だったんですよ?

そして、館林・太田などは、北条家が治めていました。

この様に、戦国武将によって三分割されて治められていたのが群馬県でした。常に戦争があり、「鶴舞う形の群馬県民」は、それは大変だったと同情します。

有名戦国武将によって、此れほど、分割されて治められていた地域も、全国的にも、希少なのではないでしょうか?
ちなみに、信長も武田家を滅ぼした後、この群馬を治めています。意外でしょ?w

ちなみに、ちなみに・・・真田幸村の兄(信之)は、俺の実家あたりで、奇襲にあい殺されかけています。

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# 織田カンパニー
2011/05/05 06:12

歴史ファンは意外と多いので、そんな話も

皆知ってる織田信長ですが、一体、彼は何がすごいのかわかりやすく例えると・・・
皆の会社の2代目になった「織田社長」は、田舎の一商店に過ぎなかった店を、全国規模に、ものすごい早さで成長させてしまった男なんです50年が寿命と言われていて、馬くらいしか物資流通の便がなかった500年前を、今の時代に換算すると、約6~8年くらいで、個人経営の商店が全国規模の大チェーン企業にのし上がるくらいの早さです
もちろん、皆の周りにいる「役に立たない上司」などは、どんどん切り捨ててくれますライバル企業も、バタバタなぎ倒していきます。社内では、それまで、ぐだぐだしていたセッション(部門)間の関係も、非常に合理的で、通気性の良い会社にあなたは、そんな社長の下で、財布も豊かになり、人間関係もどんどん広がり、有名人達とも交流が出来るようになります。

スゴイでしょ?

ただ・・・あまりに、急ぎすぎた社内改革は、それまで、大切にしてきた伝統、様式などを軽んじてしまっていた為、保守派の「明智常務」によって、TOBにより、株を買い占められて、織田カンパニー(株)は、乗っ取られてしまうのです

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