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# 群馬のセンゴク
2011/06/05 09:37
群馬県は、その昔「こうずけの国」といわれていました。

戦国時代にも、名だたる武将達が、このこうずけの国で戦っていました。

越後(新潟)の上杉謙信。彼は、関東でNO1になろうという野望と義務がありました。その為、同じく関東平野の平定の野望をもつ北条家と長年に渡り戦います。もちろん、群馬の地も何度も戦場になりました。謙信は、新潟県境、水上から沼田あたりまでを治めていました。

甲斐・信濃の雄・武田信玄も群馬県を侵略しようともくろんでいました。松井田から高崎辺りまでは、武田の領土だったんですよ?

そして、館林・太田などは、北条家が治めていました。

この様に、戦国武将によって三分割されて治められていたのが群馬県でした。常に戦争があり、「鶴舞う形の群馬県民」は、それは大変だったと同情します。

有名戦国武将によって、此れほど、分割されて治められていた地域も、全国的にも、希少なのではないでしょうか?
ちなみに、信長も武田家を滅ぼした後、この群馬を治めています。意外でしょ?w

ちなみに、ちなみに・・・真田幸村の兄(信之)は、俺の実家あたりで、奇襲にあい殺されかけています。

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